スタジオジブリ・レイアウト展@東京都現代美術館


崖の上のポニョ』を観てから行こうかしら、と思いつつ『ダークナイト』ばかり3回も観ているうちに閉会が迫ってきたので、雨降る中を出かけてきた。
東京都現代美術館を訪れるのは2004年の「球体関節人形展」以来、2回目。


拙いながらも漫画を描いていた(いる?)身としては、もちろん画コンテや原画や背景画も興味深いんだけど、いちばん見たいアニメ制作の素材はレイアウトだったりする。
アニメの1カットの設計図であるレイアウトは、漫画でいえば下描きの1コマに相当すると思うからだ。
これまで他の素材とくらべて不思議と表に出る機会が少なかったレイアウトを、これだけまとめて観られるなんて、これはまさに夢のような企画。


何せあのアニメ様が「なんてマニアックな企画だろう」と呆れたくらいだから、会場には業界関係者やコアな作画マニアが一同に集い、そこかしこで作画談義に花を咲かせているウルトラ・マニアック・サロン的な空間をちらっと想像していたんだけど、全くそんな光景は見られず。
ごく一般的な家族連れやらカップルやらがわいわいと多数を占める隙間に、僕のようなアニオタがちらほらひっそりと点在し、多すぎる人の流れに体のあちこちをどつかれながら、1枚毎に見入っているような感じだった。平日だと、また様子も違うのかしら?


展示されたレイアウトの数々を見て改めて感じ入ったのは、アニメーターという人種の画の巧さ。どのレイアウトもとにかく巧くて見とれてしまう。
研ぎ澄まされた鉛筆で描かれた線の美しいこと細かいこと力強いこと。
消しゴムをかけた後にもうっすらと残るデッサンや、消失点のライン取りの跡等、印刷では感じる事のできない試行錯誤の痕跡、実物の放つ静かな迫力に圧倒された。


千と千尋の神隠し』の釜爺のシーン等は一枚画として見ても充分に素晴らしいし、作品としては大嫌いだった『おもひでぽろぽろ』や『ホーホケキョ となりの山田くん』もレイアウトは良いんだよなあ、と素直に感心。
それにしても『千と千尋〜』が三方の壁全面に膨大な量が貼りまくられていたのに対して、かなり期待していた『魔女の宅急便』がたったの1枚だけ、というのは何の冗談かと…。


そして、やはりキャラクターのアップよりは、引き気味の画面の方が、個人的には面白かった。
常にカメラアングル、キャラクターと背景の配置に頭を悩ませる割に、結局は凡庸この上ないカメラ正面に人物横並びの構図を選択。また、足元が見えないのをいい事に、地面にキャラの足がめり込んでいたり浮かび上がっていたり、斜め45°に突っ立ってたりするようないい加減な画ばかりを描いていた身にとっては、正確かつ魅力的な構図の大群にあてられて、何やらヘンな熱や汗が出てきて気分が悪くなった(笑)。


レイアウト用紙に書かれている秒数と作画・撮影指示を脳内で再生したり、会場を行きつ戻りつたらたら楽しんでいたら、3時間ほどかかった。ざっと一通り観るだけなら2時間くらい?


はんぱなく分厚くて重い図録も素晴らしい出来。
会場内の特設物販コーナーが凄まじい行列で地獄を見たんだけど、外にあるミュージアム・ショップでも売っていたので激しく脱力。
これから駆け込みで行かれる方、図録だけ欲しいなんて方は、ミュージアムショップで買うといいっすよ。


今回の盛況、好評を弾みに、もっと他の作品のレイアウトも公開・出版されるといいなあ。
あと、ひとつのアニメーション作品を作るにあたっての素材を、企画書からラッシュ・フィルムまで全て集めた展覧会なんてのも面白いかも。

インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国

っていうか、ルチ将軍?


ルー「この意表を衝いたオールディーズなオープニング!アメグラっすよ、アメグラ!」
スピ「ほらほらっ!この音楽!この壊れた木箱からチラッと見えるのは…ねっ?ねっ!」
フォー「はいっ、俺がここで見つめてる写真に注目!く〜っ!泣けるっしょ?」
ルー「はいはーい!皆さんお待ちかね、カレン・アレンの登場ですよー!」
スピ「変わらな〜い!」
フォー「かわい〜い!」
全員「マリオン萌え〜っ!!」


…って、うるさいよ、爺さんたち!
ちゃんと年相応に老けてるよ、マリオン!


紆余曲折あった末の19年ぶりの復活に、三老人がキャッキャウフフと大はしゃぎ。
至る所で観客に向けたチラチラ目くばせ&ぱちぱちウインクの連発が、鬱陶しいったらもう。
もともとセルフ・パロディというか楽屋オチが目立つシリーズではあったけれど、今回はちょっと度が過ぎやしないか?
知らない訳ではないけれど、親しい訳でもない人たちの同窓会とか結婚式に紛れ込んでしまったような居心地の悪さを、終始感じてしまった。


とはいえ、中盤のバイク・チェイスや後半のジャングル・チェイス等、豪華な宴会ならではの趣向は盛りだくさん。
アクションに昂揚する瞬間がついに訪れなかった前作「最後の聖戦」に比べれば、活劇映画としての満足度は高い。


その例えでいうと、日本人観客に総スカンを喰らっているアトミック・カフェのくだりや、全観客ポカン顔の終盤の展開も、お調子者のやり過ぎ&うすら寒い宴会芸にドン引きしているようなものと考えれば、さして腹も立たないか。


そしてラストシーン。
トレードマークのソフト帽を巡る本当にちょっとしたやり取りは、本当にちょっとだけ素晴らしい。本当にちょっとグッと来た。
いやいや、色々と言いたい事もあるけれど、終わり良ければ全て良し。
なかなか良い会(or 式)でした。

Can't Go Back/Primal Scream

アルジェント魂



プライマル・スクリームに心惹かれるなんて、何年ぶりかしら?
ドギツイ原色の照明の中で繰り広げられる、美女たちの殺人劇。
長い長い廊下の突き当たりの窓明かり。
大写しされる黒の革手袋と凶器の数々。
犯行現場を目撃するのは熊の敷物の虚ろな眼。


新曲「Can't Go Back」のPVでは、イタリアン・ホラー映画の巨匠、ダリオ・アルジェント監督の、今や本人にも再現不可能な全盛期の映像・演出を(流血以外は)完全再現。
ビリヤードの球の見せ方とか、モンキーレンチの使い方とか本当に素晴らしいなあ。


CDジャケットのアートワークも『サスペリア2』あたりのタイトル画面撮り風。
ビューティフル・フューチャーCan't Go Back


これであとは音楽がプライマルじゃなく、ゴブリンだったら…。

ミスト

あるスティーヴン・キング愛読者の友人への長い長い手紙


拝啓、くまこ様。
毎度ご無沙汰しておりますが、お元気ですか?
いただいた年賀状の返事も出せないままで、申し訳ありません。


『ミスト』、ついに公開されましたね。
僕らスティーヴン・キングのファンにとっては長年の夢だった映画化作品ですが、アメリカでの公開時には、原作から変更されたというラストを巡って議論が巻き起こり、興行成績もいまひとつ振るわなかったような話も聞いてはいました。


原作小説『霧』は、日本における「モダンホラー」ムーブメントの始まりを告げる作品だったと思います。まだまだ翻訳も少なく、「先行公開された映画の原作者」的な認識をされていたキングが、本作によって「とんでもなく面白い小説を書く作家」として、日本の読者に鮮烈に認知されたような記憶があります。
僕にとってもその圧倒的な面白さと恐ろしさにやられて以来、キング作品はもちろんの事、「モダンホラー」と銘打たれている小説なら片っ端から読み漁るきっかけとなった想い出の一作ですし、そのラストシーンは全キング作品の中でもいちばん好きかもしれません。


そんな訳で、様々な期待と不安に胸を高鳴らせながら出かけた、近くのシネコン
土曜日お昼という事で『ナルニア国』やら『相棒』やらにざくざくと流れていく人々を横目にしつつ、閑散とした(泣)『ミスト』上映館のベスト・ポジションに座ります。


結論から言えば、『ミスト』はとんでもなく凄い映画でした。


開巻、主人公のイラストレーター、デヴィッド・ドレイトンが、アトリエで新作映画のポスター(『ガンスリンガー』!)を描いています。
停電のために、絵筆を動かしていた手を止めるデヴィッド。
窓の外、湖とその向こうに広がる山に立ちこめる暗雲に浮かび上がるタイトル。
遠くに轟き光る雷鳴と稲妻を無言で見つめている、デヴィッドと妻子の後ろ姿。
避難のため、静かに地下室に降りていく3人。
そして、無人のアトリエに突如飛び込んでくる、凶暴な自然の猛威!


……といった具合に、ここまでの静かで不穏で、最後は唐突に暴力的な全カットが、鮮明に脳内で再現できてしまいます。
これからドレイトン一家に振りかかるであろう、恐ろしい災厄の予感と不安に満ちたこのオープニングから、もういきなり僕は圧倒され、傑作の予感に震えていました。


大嵐の一夜が明けた翌朝、デヴィッドは半壊した家に妻を残し、幼い息子のビリーと隣人の弁護士ノートンの3人で、スーパーマーケットに買い出しに出かけます。ほどなく町全体を深く包み込んでいく、無気味な白い霧。店内に閉じ込められた人々は、やがて霧の中に潜む恐ろしい存在に気づき……。


短編『刑務所のリタ・ヘイワース』や、大長編『グリーン・マイル』に対して、中編小説の『霧』は映画化するには最適の長さだったようです。
フランク・ダラボン監督の『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』を含め、キングの全映像化作品の中で、最もストーリーは原作に忠実でありつつ、映画としても素晴らしい作品に仕上がっているのではないでしょうか。


やはり、ダラボン監督のキング作品に対する愛情と理解力は抜群です。
映画化するにあたってのエピソードやディテールの取捨選択、アレンジはどれも的確。主要キャラから名も無き人々まで、多数の登場人物の行動や交錯する思惑を、見事な脚色と演出力で手際良くさばいて見せる手腕には惚れ惚れします。
何せ原作を読むたびに脳内再生を繰り返してきた映像の数々が、それらを遥かに上回る鮮烈さで再現されているのですから。


物語を知っていても、心底ゾッとする場面、感情を揺さぶられる場面が多数あります。
次々と襲いかかる怪物たちはもちろん恐ろしい存在ですが、あくまでも生物としての習性に従って人間を襲っているように見えます。
しかし、閉鎖された極限状況下で恐怖にかられた人々の生態、人間らしく振る舞おうとする理性や勇気が、混乱と恐怖に飲み込まれていく様は、もっと恐ろしく、おぞましいものです。


そんな人々の精神状態を表わしているかの様に、カメラは常に不安げに揺れ続けるのですが、短い溶暗でつながれた場面転換のおかげか、全体の映像の印象は抑制が効いていて、不思議と静かで落ち着いたものに感じられました。


作品の選択が色々な意味で抜群の(笑)信頼できる役者、トーマス・ジェーンが演じる「現代アメリカの正しきお父さん」デヴィッドをはじめ、キャストも全員が適役、かつ好演です。
意外な人たちの意外な活躍に喝采を上げる一方で、融通の利かない人たちにはそれ以上に激しく気持ちを苛立たせられます。
虚勢を張る小心者や、現実を見ようとしないリアリスト。
そして何といっても、本作最悪のモンスター、狂信おばさんのミセス・カーモディ!
観ている間、さして泣かせるような場面でもないのに妙に何度もグッと来てしまったのは、きっと「僕は確かにこの人たちを知っている」という懐かしい思いからでしょう。


さて、キング作品に登場する子供たちの魅力については、自他ともに認める無類の「KinGu Kids」好きのくまこさんには改めて言うまでもないですよね。でも、本作でネイサン・ギャンブルが演じるビリーは、本当に良いですよ!
無垢で無力で、ただひたすら恐怖に怯え震える、金髪の幼い男の子というキャラクターは、『シャイニング』のダニー直系、まさに「King of KinGu Kids」。
それはもう、巣からこぼれ落ちた雛鳥のような、この子の悲痛な涙と叫びには、本当に胸が張り裂けそうになりますし、父親ならずとも「この子のためならどんな事でもやってみせる」という気になるってものです。


そして、そんな父親の気持ちが、この映画のラストシーンでは原作よりも遥かに重要で、決定的な意味を帯びてくるのです。
誰よりも人間らしく、父親らしくありたいと願い、最善を尽そうと行動してきたデヴィッドと、彼に共感し、行動を共にしてきたグループ。
原作が暗闇の中のささやかな「希望」、言ってしまえば曖昧な状況のままで終わるのに対し、映画は暗闇の先、彼らに待ち受けていたものを容赦なく描ききっています。
そう、ヒッチコックの『鳥』から望月峯太郎の『ドラゴンヘッド』まで、語らない事でしか終わらせる事が出来なかった物語のラストシーンが、本作では語られてしまうのです。


それは噂どおり、いや噂以上にたいへん衝撃的なものでした。
「忘れられないラストシーンにする」というダラボン監督の企みは、もう見事なまでに成功しています。
一般には低俗だと思われているホラー映画、いや古典的なモンスター・パニック映画だからこそ語る事ができたドラマ、到達できた高みかもしれません。


でも正直、僕は持て余し、途方に暮れていると言ってもいいくらいの心境なのです(笑)。
このラストが意味するテーマ、教訓だの象徴だのについて語られた多くの批評を読んでも、そういった解釈以前に、何だかみんな、ずいぶんクールに受け止めてるのね、と感情面で拒否反応を起こしてしまうのです。


くまこさんは、このあまりに「純粋」な結末を、どんな風に受け止められるのでしょうか?
ご覧になりましたら、是非とも感想を聞かせて下さい。
そして、僕の心にかかったままのこの「霧」を、ぜひ晴らしてやって下さい(上手い事を言ったつもり)。


ずいぶんと長い長い手紙になってしまいました。
最後まで読んでいただけたのか、いささか心配しつつ(笑)。
それではまた。


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闇の展覧会 霧 (ハヤカワ文庫NV)

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クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ 金矛の勇者

マタだけはガチ


原恵一監督が『戦国大合戦』で離脱して以来、長い迷走期に入っている映画「クレしん」。シリーズも15作を越えて、作る方も観る方も、いい加減に疲れているのかもしれない。
そんな停滞を打ち破るためか、最初のシリーズ監督を務めた本郷みつる監督が、12年ぶりに再登板。
「漫画映画」らしい楽しさに満ちた『ハイグレ魔王』『ブリブリ王国』、前半時代劇で後半SFな構成が潔すぎる『雲国斎』、スティーヴン・キングを彷佛とさせるダーク・ファンタジーの大傑作『ヘンダーランドの大冒険』。
映画「クレしん」の足場を固めつつ、その可能性を切り開いてきた本郷監督のまさかの復帰という事で、もう誉める気満々、GWの真っ最中、子連れファミリーで満席の劇場に駆けつけた。


……んだけれど。


ゲストキャラたちの造形やダークな幻想世界の描写、平凡な日常をじわじわと侵食していく些細な軋みや違和感等、随所に本郷監督らしさが見受けられるものの、それぞれの要素はただ投げ出されているだけで、ストーリーに有機的に絡み合わない。
散漫な流れと工夫の無い単調なアクション・シーンで、全編のテンションは終始低め。
何だかまさにここ数年のシリーズの停滞を象徴しているような、どんよりした出来栄えだった。


別に腐れ独身中年でヒネた映画ファンの僕を喜ばせてくれなくてもいいんだけれど、場内のお子様たちのテンションも過去最低で、多少なりとも沸いていたのが、ヒロシのヘンな顔とエンディングの高速ダンスくらいってのは寂しすぎじゃないかしら。


インタビューでは本作の出来栄えに自信たっぷりの姿に不安を覚えずにはいられない本郷監督には、過去の傑作『ヘンダーランドの大冒険』『シャーマニックプリンセス』『星方武侠アウトロースター』第20話「猫と少女と宇宙船」あたりを見返してもらって、猛省を促したい。

週刊真木よう子

第4話「中野の友人」


いや、山下敦弘監督といましろたかし原作の相性は抜群ですなあ。
この希薄なんだか濃密なんだかよく分からない空気は、まさにこの2人の組み合わせならでは。


今回、これまでの全面に押し出した濃厚な女っぷりとは打って変わって、中性的なキャラクターを自然体で演じている真木よう子が、とても良いです。
引きばっかりで寄り少ないし、実質脇役なんだけれど、電話している横顔の一瞬とか、最後の最後にさりげなく炸裂させるささやかな「奇跡」とか、最小限の描写で最大限の魅力をちゃんと描き出している山下監督も巧いなあ、と。


とはいえ、やはり今回は実質『週刊井口昇』。
一心不乱、汗だくでピンボールに打ち興じる姿は、ジャック・ニコルソンダニエル・デイ=ルイスを彷佛とさせる、というのは言い過ぎですかね?
ともかく出ずっぱりの主役として、その鬱陶しくも素晴らしい存在感をたっぷりと堪能できる、これは役者・井口昇の代表作ではないかしら?


今のところ、この話だけはDVD欲しいなあ。

先日、『クローバーフィールド/HAKAISHA』を観てきたんですが
これが意表を衝いて、○○映画史上に残る大傑作でした。
シネパカクロスレビューをやってます。
ネタバレ全開なので、未見の方は要注意。