007 カジノ・ロワイヤル

おまたがひゅっとします

007 カジノ・ロワイヤル (初回生産限定版) [DVD]
モノクロームアバンタイトルで観客が目撃するのは、シリーズ恒例の派手で大仕掛けで能天気なアクションではない。
ざらついた心象風景のような画面が荒々しくフラッシュバックする、陰惨で無様で暴力的な初めての殺人。
しっとりと落ち着いた画面で展開する、とことんハードボイルドでフィルム・ノワール調の2番目の殺人。
00ナンバーに昇格する前のジェームズ・ボンドが手掛ける衝撃的な2つの殺しの場面が、のっけからシリーズの「お約束」を否定する。
その冷酷さに震え上がり、続くクリス・コーネルによるちょっとベタ過ぎに思えるほどのヒーロー賛歌風な主題歌と、クラシカルでグラフィカルなオープニング・タイトル(これも恒例の女体のタコ踊りが無い!)に、新生ジェームズ・ボンドへの期待は俄然高まっていく。


6代目ジェームズ・ボンドダニエル・クレイグ
短く刈った金髪に碧眼。
誰もが揃って指摘する、敵組織の殺し屋にしか見えない酷薄な悪役面。
脱げば肉がぱんぱんに詰まったビア樽のような格闘家体型で、スーツやタキシードのまぁ似合わなそうな事。
初代ショーン・コネリーから5代目ピアース・ブロスナンまで、襲名時には賛否が巻き起こるのが常のシリーズだったが、公開前からこれほど不安視されたNEWボンドは初めてだろう。
トゥームレイダー』でアンジェリーナ・ジョリーの相手役だったらしいが、観たはずの映画自体が全く記憶に無く(笑)、『ミュンヘン』での粗野なテロリスト役は好演だったが、スタイリッシュなボンドのイメージからはおよそ程遠かった。
やれ格闘シーンの撮影中に歯を折っただの、マニュアルの免許を持っていないので初めてAT車のボンド・カーが用意されただの、制作中に伝え聞くニュースも何だかロクでもないものばかり。


だが全てのネガティヴな印象は、観賞後に一転した。
ダニエル・クレイグ、すごく良いのだ。


タフでクールでワイルドな佇まいは、初期のショーン・コネリーに最も近いだろうか。まるで似ていないはずの彼のイメージに、不思議と重なる瞬間が何度もあった(そういえば彼も当初は「スコットランドの野蛮人」と揶揄されていたらしい)。
しかし、歴代ボンドが完成された大人の英国紳士だとすれば、クレイグ・ボンドはさしずめロンドンの下町にいる悪ガキがそのまま大人になったような風情。
有能だが傲慢、機転が利く一方で衝動的。タキシードをさらりと着こなし、ポーカーの駆け引きもそつなくこなすが、ブラフに引っ掛かってボロ負けすると「野郎ブッ殺してやる!」とばかりにテーブルナイフを引っ掴んで相手を刺し殺そうとする(笑)。
女に対しては手慣れた口説き方を見せる一方で、子供じみた意地を張ってみたり、ナイーヴな心の奥底をかいま見せたり。人間臭いというか、青臭いのだ。
若きボンドが00ナンバーに昇格し、そのアイデンティティーを確立しはじめる様を描く本作にとって、そんな彼の不安定なキャラクターが見事にはまっており、未熟だが、それ故に魅力的なボンド像を作り出す事に成功している。


アクションが素晴らしい。
クレイグ・ボンドは行動に迷いがない。ためらわない。
鈍重そうに見えた体型が、パワフルに、シャープに、とにかく良く動くのには感心した。
彼の身体能力を活かし、本作のアクション演出は秘密兵器や巨大基地のような荒唐無稽なガジェットを排した、徹底的にストレートな活劇指向だ。


冒頭の長い長いチェイス・シーンは、アクションのクライマックスと言えるだろう。『ヤマカシ』風の超人的なパフォーマンスで逃げに逃げまくるテロリストを、機転と無鉄砲な強引さで、走って跳んで転がって、追いに追いかけまくるクレイグのカッコ良さといったら、もう!
もちろんスタントやワイヤー、CGも多用しているのだが、歴代ボンドのように「あぁ、ここからスタントマンね」「はいはい、CGCG」と興ざめする瞬間が全くないのは、クレイグの説得力ある肉体のたまものだ。


荒々しい格闘シーンからは、殴り殴られる双方の痛みがダイレクトに伝わってくる。
苦もなく敵を倒したボンドが身だしなみを整えつつさらりと小粋なジョークをかますのがシリーズの「お約束」だが、クレイグ・ボンドにそんな洒落っ気は欠片もない。苦労の末に満身創痍で敵を倒すと、口の両端がにゅ〜っとゆっくり吊り上がり、悪鬼のような満足の笑みを浮かべて終わり、なのだ。
優雅さ華麗さとは程遠いリアルな暴力描写の数々を見れば「そりゃ歯も折れますわな」と思わず納得。拉致されたクレイグがとんでもない拷問に耐えるシーンには、男なら誰もが「おまたがひゅーっ」(by しんのすけ)となるはずだ。


アクションの見せ場が前半に集中しているため、ドラマが中心の後半はテンションが下がり、どうしても地味な展開に見えてしまう事実は否めない。
クライマックスであるはずの悪役ル・シッフルとのポーカー大勝負の駆け引きが、淡々とした描写に終始して意外と盛り上がらないのも問題だ。
余分な要素を削ぎ落とし、ジェームズ・ボンドという1人の男のキャラクターの成り立ちに見せ場を絞った脚本は、一方で彼の魅力に頼りすぎで、ストーリーの構成がいささか単調だとも言える。


しかし、新生007の真の誕生を高らかに宣言するキまりまくったラスト・シーンと、ためにためまくった「ジェームズ・ボンドのテーマ」がついに鳴りまくるエンドロールが、それまでのフラストレーションを一気に吹き飛ばしてくれる。簡単に予想できる予定調和なラストなのかもしれないが、全編にわたって「お約束」を否定し続けてきただけに、最後にかまされる「お約束」はとんでもなく快感だ。


長い歴史と「お約束」に縛られ、すっかり窮屈になったシリーズをリセットするという本作の目的は、十二分に果たされたように思う。
この先このまま、このユニーク過ぎるキャラクターを継続していくのか、またシリーズの「偉大なるマンネリズム」に回帰していくのか。
どちらにしても、イーサン・ハントやジェイソン・ボーンといった新世代スパイの面々に対抗しうる可能性を秘めた、6代目ジェームズ・ボンドのこれからの活躍が楽しみでなりませんよ。