ミスト

あるスティーヴン・キング愛読者の友人への長い長い手紙


拝啓、くまこ様。
毎度ご無沙汰しておりますが、お元気ですか?
いただいた年賀状の返事も出せないままで、申し訳ありません。


『ミスト』、ついに公開されましたね。
僕らスティーヴン・キングのファンにとっては長年の夢だった映画化作品ですが、アメリカでの公開時には、原作から変更されたというラストを巡って議論が巻き起こり、興行成績もいまひとつ振るわなかったような話も聞いてはいました。


原作小説『霧』は、日本における「モダンホラー」ムーブメントの始まりを告げる作品だったと思います。まだまだ翻訳も少なく、「先行公開された映画の原作者」的な認識をされていたキングが、本作によって「とんでもなく面白い小説を書く作家」として、日本の読者に鮮烈に認知されたような記憶があります。
僕にとってもその圧倒的な面白さと恐ろしさにやられて以来、キング作品はもちろんの事、「モダンホラー」と銘打たれている小説なら片っ端から読み漁るきっかけとなった想い出の一作ですし、そのラストシーンは全キング作品の中でもいちばん好きかもしれません。


そんな訳で、様々な期待と不安に胸を高鳴らせながら出かけた、近くのシネコン
土曜日お昼という事で『ナルニア国』やら『相棒』やらにざくざくと流れていく人々を横目にしつつ、閑散とした(泣)『ミスト』上映館のベスト・ポジションに座ります。


結論から言えば、『ミスト』はとんでもなく凄い映画でした。


開巻、主人公のイラストレーター、デヴィッド・ドレイトンが、アトリエで新作映画のポスター(『ガンスリンガー』!)を描いています。
停電のために、絵筆を動かしていた手を止めるデヴィッド。
窓の外、湖とその向こうに広がる山に立ちこめる暗雲に浮かび上がるタイトル。
遠くに轟き光る雷鳴と稲妻を無言で見つめている、デヴィッドと妻子の後ろ姿。
避難のため、静かに地下室に降りていく3人。
そして、無人のアトリエに突如飛び込んでくる、凶暴な自然の猛威!


……といった具合に、ここまでの静かで不穏で、最後は唐突に暴力的な全カットが、鮮明に脳内で再現できてしまいます。
これからドレイトン一家に振りかかるであろう、恐ろしい災厄の予感と不安に満ちたこのオープニングから、もういきなり僕は圧倒され、傑作の予感に震えていました。


大嵐の一夜が明けた翌朝、デヴィッドは半壊した家に妻を残し、幼い息子のビリーと隣人の弁護士ノートンの3人で、スーパーマーケットに買い出しに出かけます。ほどなく町全体を深く包み込んでいく、無気味な白い霧。店内に閉じ込められた人々は、やがて霧の中に潜む恐ろしい存在に気づき……。


短編『刑務所のリタ・ヘイワース』や、大長編『グリーン・マイル』に対して、中編小説の『霧』は映画化するには最適の長さだったようです。
フランク・ダラボン監督の『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』を含め、キングの全映像化作品の中で、最もストーリーは原作に忠実でありつつ、映画としても素晴らしい作品に仕上がっているのではないでしょうか。


やはり、ダラボン監督のキング作品に対する愛情と理解力は抜群です。
映画化するにあたってのエピソードやディテールの取捨選択、アレンジはどれも的確。主要キャラから名も無き人々まで、多数の登場人物の行動や交錯する思惑を、見事な脚色と演出力で手際良くさばいて見せる手腕には惚れ惚れします。
何せ原作を読むたびに脳内再生を繰り返してきた映像の数々が、それらを遥かに上回る鮮烈さで再現されているのですから。


物語を知っていても、心底ゾッとする場面、感情を揺さぶられる場面が多数あります。
次々と襲いかかる怪物たちはもちろん恐ろしい存在ですが、あくまでも生物としての習性に従って人間を襲っているように見えます。
しかし、閉鎖された極限状況下で恐怖にかられた人々の生態、人間らしく振る舞おうとする理性や勇気が、混乱と恐怖に飲み込まれていく様は、もっと恐ろしく、おぞましいものです。


そんな人々の精神状態を表わしているかの様に、カメラは常に不安げに揺れ続けるのですが、短い溶暗でつながれた場面転換のおかげか、全体の映像の印象は抑制が効いていて、不思議と静かで落ち着いたものに感じられました。


作品の選択が色々な意味で抜群の(笑)信頼できる役者、トーマス・ジェーンが演じる「現代アメリカの正しきお父さん」デヴィッドをはじめ、キャストも全員が適役、かつ好演です。
意外な人たちの意外な活躍に喝采を上げる一方で、融通の利かない人たちにはそれ以上に激しく気持ちを苛立たせられます。
虚勢を張る小心者や、現実を見ようとしないリアリスト。
そして何といっても、本作最悪のモンスター、狂信おばさんのミセス・カーモディ!
観ている間、さして泣かせるような場面でもないのに妙に何度もグッと来てしまったのは、きっと「僕は確かにこの人たちを知っている」という懐かしい思いからでしょう。


さて、キング作品に登場する子供たちの魅力については、自他ともに認める無類の「KinGu Kids」好きのくまこさんには改めて言うまでもないですよね。でも、本作でネイサン・ギャンブルが演じるビリーは、本当に良いですよ!
無垢で無力で、ただひたすら恐怖に怯え震える、金髪の幼い男の子というキャラクターは、『シャイニング』のダニー直系、まさに「King of KinGu Kids」。
それはもう、巣からこぼれ落ちた雛鳥のような、この子の悲痛な涙と叫びには、本当に胸が張り裂けそうになりますし、父親ならずとも「この子のためならどんな事でもやってみせる」という気になるってものです。


そして、そんな父親の気持ちが、この映画のラストシーンでは原作よりも遥かに重要で、決定的な意味を帯びてくるのです。
誰よりも人間らしく、父親らしくありたいと願い、最善を尽そうと行動してきたデヴィッドと、彼に共感し、行動を共にしてきたグループ。
原作が暗闇の中のささやかな「希望」、言ってしまえば曖昧な状況のままで終わるのに対し、映画は暗闇の先、彼らに待ち受けていたものを容赦なく描ききっています。
そう、ヒッチコックの『鳥』から望月峯太郎の『ドラゴンヘッド』まで、語らない事でしか終わらせる事が出来なかった物語のラストシーンが、本作では語られてしまうのです。


それは噂どおり、いや噂以上にたいへん衝撃的なものでした。
「忘れられないラストシーンにする」というダラボン監督の企みは、もう見事なまでに成功しています。
一般には低俗だと思われているホラー映画、いや古典的なモンスター・パニック映画だからこそ語る事ができたドラマ、到達できた高みかもしれません。


でも正直、僕は持て余し、途方に暮れていると言ってもいいくらいの心境なのです(笑)。
このラストが意味するテーマ、教訓だの象徴だのについて語られた多くの批評を読んでも、そういった解釈以前に、何だかみんな、ずいぶんクールに受け止めてるのね、と感情面で拒否反応を起こしてしまうのです。


くまこさんは、このあまりに「純粋」な結末を、どんな風に受け止められるのでしょうか?
ご覧になりましたら、是非とも感想を聞かせて下さい。
そして、僕の心にかかったままのこの「霧」を、ぜひ晴らしてやって下さい(上手い事を言ったつもり)。


ずいぶんと長い長い手紙になってしまいました。
最後まで読んでいただけたのか、いささか心配しつつ(笑)。
それではまた。


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闇の展覧会 霧 (ハヤカワ文庫NV)

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