隠された記憶

メタ映画への誘い

隠された記憶 [DVD]

ミステリ小説の手法のひとつに「叙述トリック」というものがある。物理的・心理的なトリックではなく、人称や文体といった文章の記述に潜ませた仕掛けで読者のミスリードを誘う手法だ。『隠された記憶』には映像による叙述トリックが全編にわたって仕掛けられている。


幸福に見える家族のもとに届けられた、1本のビデオテープ。記録されていた自宅の監視映像に夫婦はおびえるが、次々と届けられるテープを見るうちに、夫の心の奥底に長い間秘められてきた、ある罪悪感が呼び覚まされていく。


果たして今見ている映像は現在進行のドラマなのか、劇中で再生されているビデオテープの映像なのか、夫の過去の記憶なのか?
固定されたカメラによるロングショットの長廻しが多用されているため、幻惑された観客はにわかにはその判別が付かず、極度の集中力を強いられる事となる。
そして呆気ないほど突然訪れる惨劇に度肝を抜かれ、それに続く「エレベーターのシーン」で緊張感は頂点に達する。


曖昧なままで終わるかに見えた映画は、やはりフィックス・ロングショット・長廻しのラストシーンで真相の一端を垣間見せる。さり気なく示唆される犯人の正体は、意外というよりもむしろ凡庸ですらあるのだが、ではその映像自体は果たして何であるのかを想像した時に、何とも得体の知れぬ不気味な感覚に囚われる事になる。


叙述トリック」を使ったミステリ小説が、結果「メタミステリ」「メタフィクション」と呼ばれるものになるように、『隠された記憶』も単純なサスペンス映画の枠を越えた、映画の形式に自己言及的な「メタ映画」となっている。
2時間もの途切れぬ緊張感から解放された観客は、事件の真相や作品の主題、ビデオテープの再生画像がVHSの画質に見えないってのはどうなのよ?といった疑問以上に、映画とは何かについて否応なく考えざるを得ないだろう。


斬新すぎるOPタイトルと『ウォーリーを探せ』状態のラストシーンは、16インチのTVで観るには辛すぎましたけどね(笑)。