スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ

やっぱり紅白合戦のトリはサブちゃんじゃなきゃ


三池崇史監督が送る全編英語台詞、オールスターキャストによる、何かと話題の和製西部劇大作。
というか観れば誰もが思う通り、まんま新春スターかくし芸大会の英語劇なのだが、そもそも三池作品は常にかくし芸大会の趣きがあったのではないかと、ふと思わないでもない。


石橋貴明香川照之の悪ノリ演技、木村佳乃の色気皆無な痛々しいダンス等は、もう本当にすべりまくっているかくし芸そのもの。
意外な好演を見せる伊勢谷友介や、さすがの存在感の桃井かおりも、結局はかくし芸大会で真剣白刃どりや曲撃ちを披露しているだけでしかないようにも思える。
桃井とクエンティン・タランティーノの『自虐の詩』風なやり取りには、不覚にもちょっと笑ってしまったけれど。


日頃から映画は観ない知らないと公言している三池らしく、表層的なガジェットこそはマカロニウエスタンらしいものの、よく比較に出されている『グラインドハウス』にあったジャンルへの思いは決定的なまでに乏しい。タランティーノの映画愛や、ロバート・ロドリゲスの映画術のかわりにあるのは、三池の資質である「心無さ」だが、湿っぽい回想シーンが連発される中盤の退屈さ、パロディ以上オマージュ未満な仕上がりには煮え切らなさが残る。


それでも『インプリント 〜ぼっけえ、きょうてえ〜』に続いて参加の栗田豊通による撮影だけは今回も本当に素晴らしく、特に屋外撮影の美しさには目を奪われる。
衣装やオープンセットも含めたビジュアルと、サブちゃん熱唱のエンディング・テーマだけは、映画らしい映画として劇場で体験するに値する、と自信(と不安)をもって断言しよう。


SUKIYAKI WESTERN ジャンゴ スタンダード・エディション [DVD]SUKIYAKI WESTERN ジャンゴ スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

グラインドハウス U.S.A.バージョン

風にころがる映画もあった


いつの頃からだろうか、映画館に出かけるのが億劫になってきたのは。
「やっぱり映画は映画館で観なきゃ」と封切り館と名画座をハシゴし、話題作には先行オールナイトか初日に駆けつけ、内容が無いような薄っぺらいパンフレットを必ず買い求め、大量のチラシを強奪していたかつての映画少年は、いつの間にやら「別にレンタルDVDでも充分じゃないスかねえ、うへへ…」と下卑た笑みを浮かべる怠惰なクソ中年へと変わり果てていた。
携帯電話のバックライトと、後ろから蹴りまくられる座席。ポップコーンのバター臭。気がついてみれば、映画館は本当にストレスが溜まる空間だ。
例え観た映画が面白かったとしても、その映画を大勢で共有する幸福な祝祭的空間、という甘美な感覚は絶えて久しかった。


さてその昔、B級C級の低俗なエクスプロイテーション映画ばかりを2本立て3本立てで上映する映画館が、アメリカで隆盛を誇る時代があったという。
クエンティン・タランティーノロバート・ロドリゲスが競作するオムニバス映画の本作では、そんなグラインドハウスと呼ばれた当時の映画館の雰囲気が、徹底的にシミュレートされた作りとなっている。


ロドリゲス監督の『プラネット・テラー』は、ゾンビ・ホラー活劇。
全編に流れるどんよりしたギター、ドンドコドコドコしたリズムが、ジョン・カーペンタリズムという名のB級魂とジャンルへの愛を、高らかに緩やかに歌い上げる。
オモチャ感覚のCGと汚らしい特殊メイク、リアリティ完全無視のアクションには頬が緩みっぱなし。いちいちスカしてて、おセンチで、でも最高に安っぽい名台詞の数々には中学生魂がシビレっぱなし。
馬鹿で幼稚で下品で俗悪で、もう本当にどうしようもない(以上、ほめ言葉)。
近年の傾向だったCG多用の作り込み故の安っぽさが、本作では実に見事にはまっていて、ロドリゲス作品としては『デスペラード』『フロム・ダスク・ティル・ドーン』と並ぶ快作に仕上がった。


タランティーノ監督の『デス・プルーフ』は、本人が言うところの「スラッシャー(殺人鬼)ムービー」というよりは、もはやアンディ・ウォーホルあたりが撮っていたアート・フィルムの域に近い。
ゆるゆるのガールズ・トーク、凄惨なカー・クラッシュ、だらだらのガールズ・トーク、壮絶なカー・チェイス「だけ」という異常な構成。果てしなく続く無防備な肢体の女の子達による無意味な会話シーンに意識が途切れかけそうになったかと思えば、ノーCGのアナログでアナクロなカー・スタントの迫力にブッ飛び、一気に覚醒する。
ラス・メイヤーmeets『バニシング・ポイント』といった表現は当り前すぎて生ぬるい。これはもう、ソフィア・コッポラmeets『マッドマックス』と言ってしまいたくなるような狂った味わいだ。
女の子達を付け狙うサイコ・キラー役のカート・ラッセルも、これまでのタフガイのイメージを逆手にとった驚きの演技を披露。カメラ目線をビシビシ決めて、新たな魅力を炸裂させる。
そんなカート叔父貴のおかげでクライマックスは爆笑に継ぐ爆笑。最高に爽快で素頓狂で『ファスター・プッシーキャット キル!キル!』なラストシーンを迎えた観客は、間違いなくタランティーノが本作でネクスト・レベルに突入した事を確信するだろう。


残念な事にアメリカ興行成績の不振から、日本ではディレクターズ・カット版がそれぞれ『デス・プルーフ in グラインドハウス』『プラネット・テラー in グラインドハウス』として単独公開される事態となった。確かに両作品はキャストが一部重複する以外に特に共通する部分は無いし、何ら問題なく独立して楽しめるようになってはいる。
しかし、2本一気に観る事で起こる相乗効果というか化学反応は絶大。3時間超の上映時間を乗り切って『デス・プルーフ』ラストの「THE END」にたどり着いた時のカタルシスは、ディレクターズ・カット版の比ではないはずだ。
フィルム・リールが丸々1巻欠損しているため話が飛ぶといった数々のギャグや、サービス精神に満ちた4本のフェイク予告編も含めて、やはりこれは2本一気に観てこそ増す価値もあるはず。2本一気に観てこそ許せる酷い部分も多いし(笑)。
上映時間が伸びて編集も異なるというディレクターズ・カット版では、評価もまたかなり違ってくるのではないだろうか。個人的には今のところ、それぞれの単独公開を観に行く気にはなれない。


さてその日、TOHOシネマズ六本木ヒルズは、単館、しかも1週間の限定上映、さらに驚きの入場料3,000円という厳しいハードルをクリアして駆けつけた猛者どもで、ほぼ満席状態。
3時間を大いに笑い、ほんのちょっぴり泣き(笑)、もう存分に楽しませてもらった俺は、猛者どもと一緒にスクリーンに向かって拍手を送りながら、本当に久し振りに「映画館ってやっぱり良いなあ」と実感したのだった。


グラインドハウス ~デス・プルーフ&プラネット・テラー~ ビジュアル&メイキングブックプラネット・テラー プレミアム・エディション [DVD]デス・プルーフ プレミアム・エディション [DVD]グラインドハウス コンプリートBOX 【初回限定生産】 [DVD]

スネーク・フライト

ヘビがジャンボでやってくる

スネーク・フライト [DVD]

スネーク・フライト』は原題(Snakes on a Plane)通り、旅客機にヘビが溢れかえって大騒ぎという、もう本当にただそれだけの、潔いにもほどがある見事なまでのB級映画だ。


「ちょっと話が馬鹿馬鹿しすぎやしないか?」「でもやるんだよ」
「○○と○○の寄せ集めというかパクリ…」「でもやるんだよ」
「予算も時間も全然足りないんですが」「でもやるんだよ」
「ぶっちゃけ役者が微妙…」「でもやるんだよ」


低予算のジャンル映画ならではの逆境と逡巡に、腐らずめげず「でもやるんだよ」と立ち向かうスタッフ、キャスト達。名作と呼ばれるB級映画の数々は、きっとそんな現場から生まれてきたに違いない。


スネーク・フライト』にも、そんなB級魂とでもいうべき心意気が、頭からしっぽまでみっしりと詰まっている(ヘビだけに)。
やるべき事をきちんとやる脚本。しっかり役割をわきまえた登場人物。ただひたすら職人芸に徹した演出。
卑屈とは無縁で、これほど「B級」に誠実な映画には、なかなかお目に掛かれない。
タイトルを聞いただけで出演を承諾したというサミュエル・L・ジャクソン、快作を連発し今や安心のブランドとなったデイヴィッド・エリス監督を始め、スタッフ、キャスト全員の「だからやるんだよ!」という叫びが聞こえてくるかのような、B級映画(として)の大傑作である。


ところでサミュエルが徹底的にこだわりぬいたという(笑)この原題って、『トイ・ストーリー』のウッディの決め台詞("There's a snake in my boot!")から来てるのかしら?

隠された記憶

メタ映画への誘い

隠された記憶 [DVD]

ミステリ小説の手法のひとつに「叙述トリック」というものがある。物理的・心理的なトリックではなく、人称や文体といった文章の記述に潜ませた仕掛けで読者のミスリードを誘う手法だ。『隠された記憶』には映像による叙述トリックが全編にわたって仕掛けられている。


幸福に見える家族のもとに届けられた、1本のビデオテープ。記録されていた自宅の監視映像に夫婦はおびえるが、次々と届けられるテープを見るうちに、夫の心の奥底に長い間秘められてきた、ある罪悪感が呼び覚まされていく。


果たして今見ている映像は現在進行のドラマなのか、劇中で再生されているビデオテープの映像なのか、夫の過去の記憶なのか?
固定されたカメラによるロングショットの長廻しが多用されているため、幻惑された観客はにわかにはその判別が付かず、極度の集中力を強いられる事となる。
そして呆気ないほど突然訪れる惨劇に度肝を抜かれ、それに続く「エレベーターのシーン」で緊張感は頂点に達する。


曖昧なままで終わるかに見えた映画は、やはりフィックス・ロングショット・長廻しのラストシーンで真相の一端を垣間見せる。さり気なく示唆される犯人の正体は、意外というよりもむしろ凡庸ですらあるのだが、ではその映像自体は果たして何であるのかを想像した時に、何とも得体の知れぬ不気味な感覚に囚われる事になる。


叙述トリック」を使ったミステリ小説が、結果「メタミステリ」「メタフィクション」と呼ばれるものになるように、『隠された記憶』も単純なサスペンス映画の枠を越えた、映画の形式に自己言及的な「メタ映画」となっている。
2時間もの途切れぬ緊張感から解放された観客は、事件の真相や作品の主題、ビデオテープの再生画像がVHSの画質に見えないってのはどうなのよ?といった疑問以上に、映画とは何かについて否応なく考えざるを得ないだろう。


斬新すぎるOPタイトルと『ウォーリーを探せ』状態のラストシーンは、16インチのTVで観るには辛すぎましたけどね(笑)。

学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD

ハイスクールはゾンビテリア


「巨人・大鵬・卵焼き」。かつての高度経済成長期を象徴する言葉としてしばし引き合いに出される男の子の三大好物だが、時代は流れ、そして変わった。
今どきの男の子の三大好物といえば、何といっても「死人・鉄砲・あまっ子達」(苦しい)。かわいい女の子を守るため、ゾンビどもを撃つべし打つべし討つべし!
そんな殺伐・即物的な夢と欲望がたっぷり詰まった、ありそうで意外と無かった本格ゾンビ漫画が話題を呼んでいる。
と言うと「ロメロ原理主義」の方達に本格ゾンビとは何かを色々とお説教されそうな気もするが、これほど『ゾンビ』らしいゾンビ漫画がヒットしている事実は素直に喜びたいところ。


1978年製作、ジョージ・A・ロメロ監督の映画『ゾンビ』は、凄惨なスプラッターあり豪快なアクションあり緊迫した人間ドラマあり優れた現代文明批評あり、そのずば抜けた完成度の高さでホラー映画をネクストレベルに押し上げた傑作である事は改めて言うまでもない。その影響はホラー映画の枠に留まらず、今も小説にゲームにと無数の亜流作品を生み出し続けている。
特にここ日本では『バイオハザード』シリーズの大成功以降、ゾンビもお茶の間の人気者として完全に市民権を得たと言えよう。


先に「『ゾンビ』らしい」と書いたが、『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』のアッパーで疾走感あふれる作風は、基本的にダウナーな『ゾンビ』よりは、2005年のリメイク作品『ドーン・オブ・ザ・デッド』のそれに近い(ゾンビは走らないが)。
「ある朝目覚めると世界は終わっていた」というアバンタイトルがあまりに秀逸だった『ドーン〜』だが、本作もまた「授業をフケて屋上にいたら世界が終わっていた」という素晴らしい導入部から始まる。理由を考えている暇なんか無い。気がつけば校内にゾンビが溢れかえっているのだ。


何せ開巻いきなりゾンビに襲われている主人公と友人の名前からして、小室孝と井豪永である。
大人が子供を突然殺しはじめる不条理SFの古典的名作『ススムちゃん大ショック』を描いた永井豪
怪物化する死人と人類との闘いを三代にわたる年代記として綴った『ワースト』の小室孝太郎
『ゾンビ』以前に『ゾンビ』らしい状況を描いていた先人漫画家へのさり気ない?リスペクトっぷりを見ても、このジャンルに対する作者の並みならぬ思い入れのほどがうかがえる。
コンビニ店員の傍らにクリケットのラケットが置かれているひとコマを見て、どれだけの読者が元ネタの映画に気づく事やら。


とは言え、そんなマニアックに過ぎるくすぐりの数々に気付かなくても全く支障は無い。
お約束とリアリズムと御都合主義のさじ加減が絶妙なストーリー展開、達者なデッサン・流麗なペンタッチの作画から受ける印象はあくまでライト。「ロメロ原理主義」の方達には物足りなくても、男の子の幼稚な夢と欲望が炸裂する様を気楽に楽しむ分には、とても正しい少年漫画のかたちではないだろうか。熱血と屈折がほど良い塩梅の主人公然り。登場する女の子の乳尻太ももが揃って過剰にまぶしい点も、また然り。


さて、1巻のラストで主人公のグループはゾンビで溢れかえる学園を早くも脱出、パニック真っただ中のさらに混沌とした外界へと舞台は移っていく。
ハッピーエンドのあり得ないこの世界で、「ロメロ原理主義」と少年漫画のバランスをどう取り、物語の落とし所をどこに持っていくのか?
これからの展開にも大いに期待したいところDEATH。


そして本作のヒットでゾンビ漫画ムーブメントのようなものがちょっとでも巻き起こったりなんかしたら楽しいだろうなあ。
「ロメロ原理主義」者も納得、仁木ひろしの未完の傑作『高速弾で脳を撃て!』が単行本化されたりなんかしたら、本当に嬉しいだろうなあ。
学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD 1 (角川コミックス ドラゴンJr. 104-1)学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD 2 (角川コミックス ドラゴンJr. 104-2)

ホステル

性界の車窓から

ホステル コレクターズ・エディション 無修正版 [DVD]
セックスとドラッグを求めて気の向くままにヨーロッパを旅するボンクラ3人組。「そこに行けばどんな(エロい)夢もかなうというよ」。そんな「地球の歩き方」には載っていない情報をアムステルダムで聞きつけ、足取りも軽くスロバキアの田舎町へと向かった3人は、情報通り極上の美女達が待ち受けるホステルに到着。夢のような(エロい)一夜を過ごす。この世の地獄に足を踏み入れたとも知らずに…。


ホラー映画に脈々と連なる流れのひとつに「田舎はおっかねえ」というものがある。『悪魔のいけにえ』も『13日の金曜日』も、どれも都会の人間が田舎で酷い目に遭うという点で通底している。
低予算の前作『キャビン・フィーバー』でやはり「田舎はおっかねえ」と力説してマニアから注目を浴びたイーライ・ロス監督、クエンティン・タランティーノの支援もあってぐっと作品のスケールが大きくなった本作では「外国はおっかねえ」と大力説。
フリーセックス、フリードラッグで楽しそう。でもロシアン・マフィアが暗躍していて何か怖そう…。そんなアメリカ人のアバウトな北欧・東欧観が生み出す都市伝説、「消えるヒッチハイカー」ならぬ「消えるバックパッカー」を奇妙な説得力をもって映像化する事に成功している。


過激なグロ描写ばかりが取り沙汰され、確かにその手の描写も容赦ないのだが、見終わってみれば、お手軽なこけおどしを廃した意外に真っ当なサスペンス映画という印象が強い。
旅の恥はかき捨てとばかりにゆるゆると続く、下世話でお気楽なエロ紀行というか裏版「地球の歩き方」が、あれよあれよという間に拉致監禁拷問空間でのサバイバルという「地獄の歩き方」に変貌していく語り口は非常に巧みで、先読みを全く許さない。伏線の張り方のスマートさ、回収のムダの無さに感心し、ドス黒いユーモアには思わず何度も笑ってしまった。


映画のレーティングには「これのどこが?」と疑問に思う選定も少なくないが、本作の「18禁」は伊達じゃない。乳も血も特盛りつゆだく。エログロに全く耐性の無い人やカップルにはお薦めできないが、バカでスケベな全男子と、それを「しょーもな」と笑って許せる女子には、ぜひこっそり1人で挑戦してもらいたい。低俗ホラーの一言で片付けるには惜しすぎる、映画らしい映画の醍醐味がここにはある…と思うんだけどなあ。


それにしても全米興収(1週だけ)1位という大ヒットによって、スロバキアの観光産業は相当の打撃を受けたのではないだろうか?
1のラスト直後から始まるという制作中のパート2によって更なる大打撃が予想されますが、ご当地の関係各位の皆さま方はあまり怒らずに大人の対応をお願いしますね。

ハッスル&フロウ

メンフィスの負け犬

ハッスル&フロウ [DVD]
勝ち組か負け組か問われたら、自信満々、でも涙目で「負け組でーす!」と吠えまくるような俺なので、負け犬が再起を誓って絶望的な戦いに挑むような映画は大好物だ。


俺はメンフィス生まれヒップホップ育ち ダメそうな奴はだいたい友達
気がつきゃしがないポン引き稼業 死んでるように生きている


そんな「イタリアの種馬」ならぬ「メンフィスの負け犬」こと三十男のDジェイが、ふとしたきっかけ(カシオトーン!)から「プロ・ラッパーに、俺はなる!」という忘れかけていた夢を取り戻し、苦闘する様を描く本作、まさにヒップホップ版『ロッキー』とでも呼べそうな、負け犬のリベンジ魂あふれる1本だ。


ラッパーの立身出世物語の類は『8Mile』を筆頭に色々と制作されているが、本作にはワルだった頃のシノギのテクニックだの、ステージでのライヴ・パフォーマンスだの、成功してからのゴージャスな暮らしだのといった派手な定番の見せ場は何も無い。
では何があるかというと、自宅の一室を改造した狭苦しく貧乏くさいスタジオでの、ひたすら地味なレコーディング作業なんだけど、トラックがしだいに形になっていく様がディテール豊かに描かれていて、ヒップホップ好きや宅録マニアでなくともワクワクさせられてしまうはずだ。


テレンス・ハワードが『クラッシュ』でのインテリでハイソなTVディレクターとは対照的な、無神経で強引だけど憎めない、ちょいとジャイアン入ってるDジェイを好演していて、抜群に良い。アカデミー主題歌賞を受賞してしまった吹替え無しのラップの腕前といい、この芸達者ぶりは今後も要注目だ。


Dジェイを助ける仲間達も良い。ハードボイルドな絆で結ばれた娼婦、元娼婦で現妊婦の恋人、会議専門のしがない録音技師に、自販機修理屋のキーボーディスト。実生活ではしがない負け組の面々が、Dジェイのデモテープ制作を通じて次第に生きる自信を取り戻していく様には、胸が熱くなる。コーラスで参加した恋人が、完成したトラックを聴いて涙ぐむシーンには、もらい泣き必至。


地元出身で大ブレイクを果たした有名ラッパーにデモテープを手渡すべく、Dジェイは凱旋パーティーが開かれているクラブへと向かう。
基本的にまったりとしたムードはここから一転、予測不能のサスペンスとバイオレンスに満ちた不穏な空間へと突入する。
正直、観ている間は唐突にすぎる気もしたんだが、終わってみれば、なるほどギャングスタ・ラッパーの皆さんが吹聴する武勇伝の数々はこうして生まれるんだろうな、とすんなり腑に落ちたので、俺的にはノー・プロブレム。


Dジェイが手にするのは、果たして成功か失敗か? 勝ち組のあんたも負け組のおまえも、ラストで彼が浮かべる不敵な笑みにヤラれまくりなYO!(ヒップホップ風に締めてみました)